備忘録@つくば

街のこと/見たもの/音楽のこと

財布緩め過ぎた

ひたすらアメリカ英語に浸かっていろんなことを詰め込んで少しだけ頭が良くなった気がした金曜日、帰りの電車の中で考えたこと。


体育の授業の集合時間に誰か1人だけ遅刻してきたとする。忘れ物でもいい。罰としてクラス全員グラウンドを5周させられる。でも私は常に見学の身。
みんなは5周走りさえすれば罰から解放される。でも私はそのクラスに所属しているにもかかわらず、みんなが辛い思いをして走っているのに何もしていない。走る以外の方法でどうやって償ったらいいかわからないし、誰も教えてくれない。他人に答えを求めるべきものか判断もできない。どうすれば辛い思いができるのか。自分を責めればいいのか。
結局、根拠もないまま『自分が悪い』と強く思い続けることによって自分なりに罰せられたつもりで、実際は意味もなくただ自分を追い詰める癖がついてしまった。そして、失敗をしたときにそれをリカバリーする行動よりも、まず自責の念を深めることに重きを置くという今の私ができた。
自責の念を深めることは物凄く疲れるし、辛い気持ちになるのが経験からわかっている。だからその最初のきっかけになる失敗が怖くなる。よって必要以上に慎重になる。想定外のことに弱くなる。しかしながら想定外のことは避けられない。失敗が続くと、回復しきらないうちにまた自責の念が深くなる。
しかもグラウンド5周などと違って、自責の念を持ち続ける期間には限界がない。失敗の規模や連続、累計の具合によっては回復が遅くなり、当然体調にも表れ、体が思うようにならないことをまた失敗と解釈してどんどん深みにはまる。それでも辛い思いをしなければ自分を罰したことにならないという思考は止められない。

小学生のうちにこの症状と原因に気づいておければなあ。しょうがないので今から徐々に治していく。