備忘録@つくば

街のこと/見たもの/音楽のこと

HHK

PCを使って勉強を始めてみたものの、VAIOのキーボードはどうも打ち甲斐が少ないので、オフィスのロッカーに寝かせておいたハッピーハッキングキーボードを持って帰ってきた。意外と配列を覚えているものだ。別にEnterをぱーんとかやりたいわけじゃないよ。


肢体欠損の障害をもつ少し年配の方の投書が出回っている。目立つのは「『悪口を言う人はあなたの悪いところを持っていく』と小さい頃近所の人に言われ、それ以来悪口を言われると泣きながら『ありがとう』と相手に言い続けたところ、気味悪がられたのかそれから悪口はなくなった」という一節と、「人の痛みがわかるのはその人の使命」という一節。後者は資質としてなんとなく理解できるが、前者には個人的に納得がいかない。『悪いところを持っていく』という仕組みと、理不尽な仕打ちに対して感謝を口にする状況が想像しにくい。

足を骨折して入院した小1の冬の日、医者から私には一切説明がないまま膝に針金を通されて牽引されるという目に遭ったのに(それ以前に骨折したときはいつも足に添え木的なものをした上から包帯で巻いて固定した状態で牽引していた)、それでも家族は医者に礼を言い、私にも礼を言うよう言った。今思えば、当事者からすれば理不尽極まりない仕打ちに対して感謝することを強く促されていたことになる。まあ子供に手術の説明をするという概念なんて皆無に等しかった時代の話だし、私は痛みと怖さで泣き疲れてそのまま寝たし。

今回聞いた話は、相手の予想外の結果を返すことによって相手の攻撃を逸らすことに成功したという一例だと理解しておく。


どうしよう最近こういう話題が多くなっちゃった。

「病気なんて気合で治すもんだよ」と至極当然のように笑顔でのたまう体育会系の先輩(仲は良い)にConfrontationを試みる。そもそも気合の定義って何ですか。のどの炎症や私の超絶低い骨密度が気合で治るのならいくらでも必要なアクションは取りますからぜひ方法を教えてください。現実的に必要なのは栄養と休息と適切な治療です。
結果「a_hya_koさんもたまには気合を信じてみたら?」と華麗にスルーされた。一瞬だけあの自信に満ちた思考回路というものを体験してみたいと思った。ほんと一瞬だけ。

のどがまだ本調子ではないのをいいことにお昼ごはん中に湯婆婆の声真似をしてみたら割と周囲に受けた。